SMAPファンの気持ちを踏みにじったメンバー!約束を守らなかったSMAP存続の署名活動!「5☆SMILE」プロジェクト
SMAP存続に動き出した人が
「解散を考え直して!」 SMAPファンの悲痛の声は解散の期限、 年末が近づくにつれて大きくなってきました。 そしてSMAP存続の為に立ち上がった 「5☆SMILE」プロジェクト。。 なんとTwitterだけの呼びかけで 37万3516人分の署名を集めたそうです! 活動もまだたった2ヶ月でこの反響! 如何にSMAPファンが存続を 望んでいるかがわかりますよねー。 そして「5☆SMILE」の代表が SMAP存続について熱く語りました! 最初は家族や友人だけで始まったそうだが 署名用のTwitterアカウントがSNSで 拡散されて広まったそうです。 SMAPファン歴20年の 「5☆SMILE」代表は 署名で集まった37万3515人分の署名を まだまだ増えるといいます。 SMAPファンの人口からしたら まだまだこんなもんではないと! SMAPファンには色々な種類があり TVでみるだけのファンや 実際にコンサートに足を運ぶファン。 そしてSMAPと共に青春を過ごしてきた 世代が子供を作り、子育てを終え ようやくコンサート会場に 足を運べるようになったと代表は言いました。 そしてSMAPの不仲説についてコメントしました。SMAP存続の為に出来る事
「今まで長年やってきたのに今更不仲で解散?」 今回の解散騒動は腑に落ちないことだらけだと言います。 本当に不仲が原因なら一緒に活動する時間を減らせばいいだけ ではないかと直接解散の原因にはならないと言いました。 確かに不仲が原因ならもっと前からダメになってるはず そしてメンバーそれぞれがプロフェッショナルなSMAP。 そんなSMAPが自身のワガママだけでSMAPを辞めるなんて 考えにくいと代表は思ったそうです。。 そして紅白出場というラストステージの 責任も果たさないまま解散に向かっているSMAP。 署名をしたところでSMAPの解散は 無くならないかもしれないが SMAPファンの気持ちを伝える場所がない以上 こういった形でしかわかってもらえない・・ と悲しそうに言ったそうです。 #SMAP存続署名37万3515人 のツイートSMAP経歴
結成からCDデビューまで[ 1988年4月、 スケートボーイズの中からグループを結成した。 結成当時の年齢はそれぞれ中居16歳、 木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草彅13歳、 香取11歳で平均年齢は14歳であった。 CDデビューまでのJr.内グループ期間が3年以上に渡り、 その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、 アイドルとしての人気を確保していった。 グループ名は事務所社長・ジャニー喜多川が 「Sports Music Assemble People」 の頭文字から命名した。 1991年1月1日に日本武道館で最初のコンサートを行い、 CDデビュー前であったが約3万人を動員した。 同年9月9日、「Can’t Stop!! -LOVING-」でCDデビュー。 同時に当時のアイドルが活動の主流としていた 音楽番組が次々と減り「アイドル氷河期」 と呼ばれる時代に入ってから バラエティ番組やテレビドラマなどに進出していった。 『第42回NHK紅白歌合戦』に同曲で初出場。 1992年4月(デビュー半年後)、 フジテレビの通称「Panasonic枠」にて、 『夢で逢えたら』の後番組として開始した 『夢がMORI MORI』にレギュラー出演。 同番組における当時のアイドルとしては 異例であった本格的なコントなどが受けて、 知名度と人気を獲得していった。 1994年、「Hey Hey おおきに毎度あり」で 自身初のオリコン1位を獲得。 また、1995年に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』 の番組パーソナリティーを務めた。 1996年からフジテレビ系『SMAP×SMAP』が 放送開始。テレビドラマ、バラエティ番組、 コンサートと多方面に活躍し始めた。 この年の5月、 森が幼い頃からの夢であったオートレース選手に転身するため、 SMAPを脱退。 同時にジャニーズ事務所も退社して、 芸能界からも引退し。 1998年、スガシカオが作詞を提供した 「夜空ノムコウ」 が自身初のミリオンヒットを記録、 のちに中学生の音楽の教科書に掲載された。