タイタニック,沈没事故,日本人

タイタニック沈没事故に日本人が乗っていた!その人はどうなったのか徹底調査!

タイタニック,沈没事故,日本人

Der Untergang der Titanic

またしても「タイタニック」と「沈没」が話題ですね!

今回のタイタニック沈没の事故は船の沈没の話ではなくて
その既に沈没しているタイタニックを見に行って

「沈没」しまった!と言うとても残念なニュースです。

そんな中で過去のタイタニック沈没の関連ニュースで
あのタイタニックには実は日本人が乗っていて

大物有名人の祖父だという事が
騒がれていますのでその事に

ついて調べていきたいと思います!




タイタニック沈没事故に乗っていた日本人とは?

タイタニック,沈没事故,日本人

 

このタイタニック沈没の話が出ると、
実はこの船の沈没から

唯一生き残った日本人がいるのだという事が
チョイチョイ話題にはなってますが

その方が実はYMOの細野晴臣さんの祖父だという事は
あまり知られていないのではないでしょうか?

そんな細野晴臣さんは祖父である
タイタニック沈没の日本人唯一の生存者である

という事を知った時のエピソードがある

それはあるインタビューでの事

あなたが初めて祖父、細野正文さんがタイタニックの事故から生き残ったことを知ったのは、いつだったのですか?

それは、私が小学3年生の頃で、親からその話を聞きました。

当時、私は両親に連れられて『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(1958年)という
タイタニックについての映画を見に行ったのです。

それは英国製のシネマスコープ映画で、まだモノクロ映像でした。

主演はケネス・モアだったことを覚えています。

映画鑑賞の帰り道、父がこっそりと私に告げました。

「タイタニックにはおじいさんが乗っていたんだ」と。
詳しくは話してくれませんでしたが。

映画を観終わった直後だったので、「えっ!」と思った記憶があります!

といったエピソードがありました。

そして祖父の

細野正文さんはタイタニックが沈没して
救助船の上で遭難手記を書いたとされています!

下の写真は細野正文さんが書いたとされる
遭難書記です↓

タイタニック,沈没事故,日本人

タイタニック沈没から生還した細野正文さんの孫YMC細野晴臣さんとは?

それでは知らない人の為に細野正文さんの実のお孫さんである
YMOの細野晴臣さんについて簡単に説明します!

以下Wikipediaから引用

タイタニック,沈没事故,日本人

YMOの細野晴臣さんの生い立ち




1947年(昭和22年)、東京都港区生まれ。
父方の祖父は鉄道官僚で、タイタニック号処女航海唯一の日本人乗客であった細野正文。

母方の祖父である中谷孝男はピアノ調律師、
叔母が外資系の映画会社勤務という環境から、
幼い頃からポピュラー音楽に親しんだ。

港区立白金小学校から越境で港区立青山中学校入学。
バンカラな校風の青山中学時代にロックに興味を持ち、

15歳あたりからギターを手に友人とバンドを組む。
漫画家を志したこともあるが、

立教高校(現:立教新座高校)・立教大学の同級生だった西岸良平の才能に感服し、
漫画家を諦め音楽の道を進むことを決意する。

高校時代からフォークの洗礼を受け、
ボーカルにも挑戦し始める。

この頃、ボブ・ディランに大きな影響を受けた。

YMOの細野晴臣さんプロフィール

細野晴臣(ほその・はるおみ)
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。
1970年「はっぴいえんど」結成。

73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。
78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、
歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、
レーベル主宰者としても活動。

YMO散開後は、
ワールドミュージック、アンビエント、エレクトロニカを探求、
作曲・プロデュース・映画音楽など多岐にわたり活動。

YMCとは?

タイタニック,沈没事故,日本人

 

イエロー・マジック・オーケストラ(英語表記:Yellow Magic Orchestra)は、
1978年に設立された日本の音楽集団で、一般的にはY.M.O.と呼ばれています。

メンバー構成:
YMOは元々、コンセプトバンドとして立ち上げられ、

その中心人物である細野晴臣は、
メンバーの流動性を重視していました。

ライブパフォーマンスでのサポートメンバーを迎えることもありましたが、
基本的なメンバー構成は以下の3人で、

それは結成当初からメンバーが亡くなるまで変わることはありませんでした。

彼らが担当したパートは主に演奏されるもので、
一部のレコーディング、ライブ、テレビ番組では他のパートを担当することもありました。

例えば、坂本龍一はライブでドラムスを演奏することもありました。

細野晴臣(エレクトリックベース・シンセベース・コーラス):
YMOの結成前にエイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーといったバンドを経験。
YMOのリーダー兼プロデューサーとして、
シンセサイザーやコンピュータを用いた独特の音楽スタイルを確立。

神秘主義的な宗教や民俗学への興味を持ち、
その影響はYMOの音楽にも反映されていました。

高橋幸宏(ドラムス・ボーカル):
サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスからYMOへ参加。
ファッションデザイナーとしての技術も生かし、
ステージ衣装のデザインも手掛けました。

細野と坂本の間のトラブル解決役でもありました。

坂本龍一(キーボード・シンセサイザー・コーラス):
スタジオミュージシャンとして大滝詠一や山下達郎のアルバムに参加した後、
YMOに加わりました。

レコーディングや楽曲の構築、
ライブのアレンジなど、

YMOでは重要な役割を果たしていました。




タイタニック沈没事故について

タイタニック,沈没事故,日本人

タイタニック沈没事故は、
1912年4月15日に北大西洋で発生した大規模な船舶事故です。

タイタニック号は、当時最も豪華で大きな客船であり、
またその設計と構造により、
「沈没しない船」とまで称されていました。

タイタニック号は、
イギリスのサウサンプトンからニューヨークへの処女航海中に、

北大西洋の氷山に衝突しました。

衝突後約2時間40分で船は完全に沈み、
乗船していた約2200人の乗客と乗組員のうち、

約1500人以上が死亡しました。

事故の規模と影響から、
タイタニック沈没事故は20世紀を代表する海難事故の一つとなり、
今なお多くの人々に記憶されています。

この事故は、
救命艇の不足や信号弾の誤解、

最寄りの船舶への無線通信の失敗など、
さまざまな問題を浮き彫りにしました。

その結果、国際的な航海安全法の改正と、
無線通信の24時間監視の義務化など、

船舶の安全基準や法律が大きく見直されるきっかけとなったそうです。

とにかく話題性のある事故で
映画化までされた出来事でした。




タイタニック沈没事故に日本人が乗っていたTwitterの反応

タイタニック沈没事故に日本人が乗っていた まとめ

タイタニック,沈没事故,日本人

 

今回は「タイタニック」「沈没事故」に「日本人」が乗っていた!
について色々調べてみましたが、

みなさんはどう思いましたか?

まさかあのタイタニックに日本人が乗っていたのも
驚きですがまさか生存していて、

しかも有名人の祖父だなんてビックリでしたよね!

まだまだ色んな謎が残されているタイタニックの事故!
これからもドンドン興味のある情報を見つけましたら

深掘りをしていきたいと思います!
それではまた次の記事でお会いしましょう!




おすすめの記事