戦艦「比叡」発見はマイクロソフト創業者!進む謎の解明・・・なぜ沈んだ?

戦艦「比叡」発見はマイクロソフト創業者!進む謎の解明・・・なぜ沈んだ?

 

太平洋戦争中に沈没した日本の戦艦「比叡」が、アメリカの研究チームによって発見されたとNHKが報道しました!

南太平洋のソロモン諸島沖で沈没したことは分かっていましたが、今まで見つかっていませんでした。

戦艦「比叡」が発見されたことで、「比叡」沈没の、謎の解明が進んでいます。

 

戦艦「比叡」とはどういう船なのでしょうか?
何故沈んだのでしょうか。




戦艦「比叡」発見!発見者は?

太平洋戦争中に、南太平洋・ソロモン諸島沖で沈没した戦艦「比叡」が発見され、話題になっています。

戦艦「比叡」は、アメリカの調査チームが発見しました。

 

この調査チームは、IT企業「マイクロソフト」共同創業者のポール・アレン氏が設立した財団が所有しているチームだそうです。

このチームは、特殊な装備の調査船を使用して、太平洋戦争で沈没した軍艦を探していました。

 

ポール・アレン氏は2018年10月に他界されているので、残念ながら戦艦「比叡」発見の瞬間に立ち会うことはできませんでした。

病気で他界してしまったポール・アレン氏の遺志を継ぎ、調査チームは探索を続行していました。




戦艦「比叡」とは

戦艦「比叡」は、大正3年に竣工された旧日本海軍の戦艦です。

初めは第1次世界大戦に使われ、東シナ海へ派遣されます。

 

第1次世界大戦が終わると、世界情勢は軍縮の傾向が強まります。
そうした流れを受けて、「比叡」は昭和8年、「練習戦艦」に改装されます。
「比叡」は訓練に使われ、また、昭和天皇が乗艦する「御召艦」にもなりました。

 

しかし昭和17年11月、再び戦艦に改装が行われます。
実は、この時の「比叡」の装備の配置などが、のちに戦艦「大和」の設計の参考となっています。

 

さて、再び戦艦として改装された「比叡」は、真珠湾攻撃に投入されます。航空母艦部隊として参加し、太平洋戦争が勃発。

太平洋戦争が激化してくると、戦艦「比叡」は激戦地となるソロモン諸島のガダルカナル島周辺の戦いに投入されます。

 

そんな戦艦「比叡」が太平洋沖で沈んだのは昭和17年11月第三次ソロモン海戦。

 

当時、日本軍と連合軍との間で激しい戦闘が続いていました。
そんな中での戦艦「比叡」に与えられた役割は、補給の輸送船を護衛することと、連合軍の飛行場を砲撃することです。

 

しかし出撃してガダルカナル島に向かう途中、連合軍の艦隊と遭遇してしまい、集中攻撃にあいます。

その時に亡くなった乗組員は188人、戦艦「比叡」は「太平洋戦争で初めて沈んだ日本の戦艦」となりました。

 

しかし、戦艦「比叡」は今まで見つかっておらず、沈没の原因が解っていませんでした。

 

推測では、アメリカをはじめとする連合軍から集中攻撃を受けた戦艦「比叡」は、舵(かじ)が効かなくなって航行不能となったため、「総員退艦の上、みずから船内に水を入れて沈んだ」とされていました。

なぜ「比叡」は沈没の原因がわかっていなかったのかというと、実は「比叡」沈没時には、沈没を目撃した人がいないのだそうです。

 

それで戦艦「比叡」がどのように沈んだかは謎と言われてきたのですね。

 

しかし今回、戦艦「比叡」そのものが発見されたことで、「比叡」がなぜ沈んだのか、最期の様子を解明できるのでは、と注目が集まっています。

謎の解明がされるかと思うと、わくわくしますね!




戦艦「比叡」謎の解明・・・発見場所は?

昭和17年11月に比叡が沈んで以来、比叡は見つかっておらず、正確な沈没場所などは分かっていませんでした。

 

それがアメリカの研究チームの発見により、比叡の正確な沈没位置が新たにわかりました。

太平洋戦争の旧日本軍の中で初めて沈んだ戦艦「比叡」は、ガダルカナル島の北側、サボ島という島の北西で発見されました。

 

沈んでから82年ほども経ってからの発見となった戦艦「比叡」ですが、「比叡」の発見場所は、決して意外な場所ではありません。

 

ガダルカナル島付近の海域は、激戦区となった地域のため、数多くの船が沈んでいることで有名な海域です。

そのため、この海域は「アイアンボトム・サウンド」=「鉄底の海峡」とも呼ばれます。

 

全長222mあった戦艦「比叡」ですが、今回の発見時に見つかったのは、そのうち後方部分の約150mです。

「比叡」の前方約70mの部分は未だ発見されていません。

戦艦「比叡」は、前後に二分されていたのです!

 

今回見つかったものは以下の通り。

 

 ・舵(かじ)
 ・巨大なスクリュープロペラ
 ・シャフト(エンジン部分とつながる部分)
 ・12.7センチ高角砲の砲身
 ・対空防御用の機関銃の弾丸が入った箱




「比叡」沈没 謎の解明!なぜ沈んだ?

太平洋戦争中にソロモン諸島沖で沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」をアメリカの調査チームが発見したと報道されました。

船体が発見されたことから、戦艦「比叡」沈没の謎の解明が期待されています!

 

沈没の瞬間、目撃者がいなかったことから、戦艦「比叡」は

 

”舵(かじ)が効かなくなって航行不能となったため、総員退艦の上、みずから船内に水を入れて沈んだ”

 

と言われていました。

 

しかし、全長222mあるはずの「比叡」の船体は、前後72mと150mとに切断されていることが判明しました。

つまり、船員たちが自ら水を入れて沈ませたのではなく、大きな爆発で沈没した可能性が高いというのが専門家の意見だそうです。

これは大発見ですね!

 

戦艦「比叡」は、数々の主要な場面で送り出されてきた軍艦ということで、「比叡」発見から、様々な歴史の謎の解明ができるのでは、と期待が高まっています!




ポール・アレン氏はなぜ戦艦「比叡」探索を?

今回、戦艦「比叡」を発見した調査チームは、ビル・ゲイツとともにIT企業「マイクロソフト」を共同創業したポール・アレン氏の設立した財団所有のチームです。

この調査チームは、太平洋戦争で沈没した軍艦を調査していて、過去には戦艦「武蔵」などの船体発見などの功績を上げています。

 

1年前の2018年3月には、第三次ソロモン海戦で日本軍が撃沈させた米巡洋艦「ジュノー」の残骸を発見したばかりでした。

ポール・アレン氏は2018年10月に他界されましたが、その後も調査チームは調査を続行、今回の戦艦「比叡」の発見に至りました。

 

しかし、ポール・アレン氏は何故、戦艦の調査チームを立ち上げたのでしょう?

 

ポール・アレン氏は、マイクロソフト社を立ち上げたことで有名ですが、その後、相当多くの著名企業へ投資し、成功を収めた人物です。

 

企業への投資だけではなく、慈善活動では、少なくとも2000億円以上の私財を投じたといいます。

文化・芸術の振興や保護に尽力したり、自然・文化遺産の保護、教育や災害・疾病対策など、慈善活動家としても活躍されていました。

ポール・アレン氏が設立した研究機関や保全団体は数多くあります。

 

そんな中でも、ポール・アレン氏は、第二次大戦時の航空機・兵器収集や、兵器遺産の発見・保全活動の分野で著名な人物でした。

 

ポール・アレン氏が世界大戦時の遺産保全活動を行っていた理由は、戦闘機や戦艦に強い興味をもっていたことに加えて、ポール・アレン氏の父親が第二次大戦に従軍したことも、理由の一つだそうです。

そんなポール・アレンの調査チームは、かなりの功績をあげていて、旧帝国海軍の戦艦武蔵・英海軍の巡洋戦艦フッド・米海軍の重巡インディアナポリスなど、名前は知られているけれど見つかっていない戦艦を、多数発見しています。