ロックンロールのジャンルで、若い頃に日本の音楽界に革命を越した内田裕也さん。
樹木希林さんが他界され、2018年に「なぜ離婚しないのか」など、話題になったばかりでした。
内田裕也さんの音楽人生はどういったものだったのでしょうか。
そして若い頃の画像がイケメンだというので、紹介したいと思います。
さらに、妻・樹木希林さんとの結婚することになった馴れ初めや、離婚しなかった理由などについて見ていきます!
内田裕也プロフィール
<内田裕也プロフィール>
名前:内田裕也(うちだ ゆうや)
本名:内田 雄哉(うちだ ゆうや)
生年月日:1939年11月17日
出身地:兵庫県西宮市
兵庫県出身の内田裕也さん。
出身は兵庫ですが、幼少期には大阪府堺市に引っ越していますので、育ったのは大阪です。
内田裕也さんの小中学生時代は、とても真面目で勉強熱心な生徒だったそうです。
内田裕也さんは、中学生時代には生徒会副会長を務めた事もあったそうです。
部活は、中学生時代はラグビー、高校時代は野球部に所属し、スポーツに打ち込んでいたという内田裕也さん。
そんな内田裕也さんは、なぜロックンロールの道に進んだのでしょうか。
内田裕也が若い頃デビューするきっかけとなったのは
小中高と、勉強に部活に打ち込む真面目な生徒だった内田裕也さん。
しかし高校生の時に、当時大人気だった外国人歌手「エルヴィス・プレスリー」に憧れを抱き、なんと高校を中退してしまいます!
若い頃に急な転身を決めた内田裕也さんは、それからは「音楽の道に進む」ことを決め、内田裕也さんは高校を、夜間学校に入り直します。
そして昼間はバンド活動をして、夜に勉強をするという生活を始めます。
学校にはきちんと通うあたり、内田裕也さんは真面目な性格なのでしょうね。
そしてまもなく、内田裕也さんと同じように音楽活動を志していた佐川満男さんと出会います。
内田裕也さんと佐川満男さんの2人は、ロカビリーバンド「ブルーキャップス」を結成します。
そしてその2年後、内田裕也さん自身がバンドマスターとなる「ブルージーンバップス」を結成します。
さらに、内田裕也さんはバンド「ブルージーンバップス」で、大手芸能事務所「渡辺プロダクション」に所属を決め、その年には日劇のウェスタンカーニバルに初出場しました!
すごい行動力ですね!
内田裕也さんの立ち上げたバンドや内田裕也さん自身は、当時、非常に人気が出て、初期には女性ファンも多かったため、内田裕也さんが歌を歌うたびに黄色い歓声があがったそうです。
内田裕也の若い頃の画像!
最近の内田裕也さんのイメージは白髪でサングラス姿です。
若者から見れば、かっこいい、というよりは「ファッション好きなおじさん」といった感じでしょうか・・・。
しかし、若い頃は、女性ファンが黄色い悲鳴を上げたというのですから、イケメンなはず。
若い頃の内田裕也さんの画像を見てみましょう。
現在の画像よりも、爽やかな印象があります。
しかしおもかげはありますね!
内田裕也が若い頃の武勇伝がヤバい!?
学生時代は非常にまじめな生徒だった内田裕也さん。
しかしロックンローラーとして活動し始めると、かなりやんちゃをしていたらしいです。
若い頃の内田裕也さんは、お酒を飲んで酔っぱらうと、わざわざ交番に行って察官に絡んだりする人だったようです。
さらにはウドー音楽事務所へ包丁を持って押し入り、「外国人ばかり使うな!」と無茶苦茶なことを言って暴れ、銃刀法違反で捕まったこともあるそうです。
そんなやんちゃすぎる内田裕也さんは、逮捕歴が3度もあります。
(当然ですよね)
さすがはロックンローラーという感じです。
そんな内田裕也さんですが、内田裕也さんの妻である「樹木希林さんの方がロッカーだよ」と言われてしまうのですから、樹木希林さんはどんだけかっこいいんだよ、とツッコみたくなってしまいます。(笑)
破天荒すぎる内田裕也さんですが、内田裕也さんは仕事に対しては非常に熱心でした。
ですから、その後も内田裕也さんは、音楽の世界で活躍していけたのですね。
内田裕也は俳優もやっていた?出演作品は
内田裕也さんは、実は俳優としても活動していました。
音楽活動の方が目立つので、知らない人も多いですが、意外と多くの作品に出演していらっしゃいます。
内田裕也さんが俳優活動を始めたのは、1970年代後半頃です。
映画が中心の活動だった内田裕也さんは、「嗚呼、おんなたちの猥歌」という作品で内田裕也さん自身をイメージした歌手の役を演じ、当時話題になりました。
「花園の迷宮」「水のないプール」、そして「座頭市」や「戦場のメリークリスマス」などの有名な作品にも、実は出演しています。
しかも内田裕也さんは、俳優出演だけでなく、内田裕也さん自身が脚本を手掛けた作品もあります。
「コミック雑誌なんかいらない」「魚からダイオキシン」という作品で、内田裕也さんは脚本を手掛け、さらに内田裕也さん自身も出演されています。
これらの作品は衝撃的と話題になりました。
タイトルもなかなか過激ですね。
内田裕也さんはドラマにも出演しており、「三匹の侍」「七人の刑事」など、ヒット作にも実は出演しています。
その割には、俳優活動をしているということはあまり有名ではありませんね。
若い頃の活躍だったので、最近はあまり出演されていないからでしょう。
内田裕也と樹木希林の結婚生活がヤバい!
2018年に女優の樹木希林さんが他界されたときにも話題になりましたが、内田裕也さんと樹木希林さんの結婚生活はかなり波乱万丈なものだったそうです。
内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦生活は、仲睦まじいものでは決してありませんでした。
馴れ初めもなかなか過激です。
実は樹木希林さん、内田裕也さんと結婚する前、俳優をしていた別の男性とすでに結婚していました。
しかし樹木希林さんと俳優の男性とは、結婚生活が長く続かず、離婚します。
その後、1973年に樹木希林さんは、内田裕也さんと再婚しました。
しかし内田裕也さんと樹木希林さんの結婚生活も長くは続かず、2年一緒に生活したのち、別居生活をするようになります。
樹木希林さんが内田裕也さんと別居した理由は、内田裕也さんからのDVのためだったそうです。
樹木希林さんが、内田裕也さんからの暴力について語っていたことがあります。
「彼が暴れるともうどうにもとまらないのよ・・警察署に相談したらすぐに駆けつけてくれた。
若い頃,特に結婚当時はひどすぎて暴力は、毎晩でした。
家の中はめちゃくちゃ包丁も毎回壊れ買い足しに何度も行きました。
「オタクの包丁はなんでそんなに壊れるの?」とお店の人からも不思議がられていました。」
包丁屋さんのコメントに、思わず笑ってしますが、笑いごとではありません。
恐ろしすぎる光景ですよね。
そんなわけで、樹木希林さんは内田裕也さんとの別居を決め、家を出て行ったのですが、以降40年以上、離婚はしませんでした。
内田裕也さんが別れたくない!とがんばっているのかと思いきや、むしろ内田裕也さんの方が離婚したいと提案していたというのですから驚きです。
内田裕也さん自身は、区役所に離婚届を提出します。
しかし樹木希林さんの方が離婚を認めず、勝手に離婚届を出したことに対して訴え、「離婚は無効」と判決で認められました。
なぜ樹木希林さんは内田裕也さんと意地でも離婚しなかったのでしょうか。
それは樹木希林さん曰く、どんなに最低な男でも、内田裕也さんのことを好きだから、だそうです。
さらに
内田裕也さんと出会ったのも縁、あの男を放っていたら周りに迷惑をかける、
私がいる事で最後の一線を超えないようにしている。
と発言していました。
樹木希林さんは、ただの「好き」ではなく、自分の気持ちやパートナーの行動にも責任を持っていたのですね。
これでは「内田裕也さんより樹木希林さんの方がかっこいい」と言われても仕方がありません。(笑)
しかし内田裕也さんは、本当に樹木希林さんという素敵なパートナーに出会えたのではないかと思います。
それにしても、別居のまま40年以上も夫婦でいるというのは、なかなかできる事ではありません。
夫婦そろって、ロックンロールなのでしょう。
まとめ
内田裕也さんの若い頃や、樹木希林さんとの馴れ染め・結婚生活や「なぜ離婚しないのか?」という話題を見てきました。
・小中学生頃までは生徒会長もするなど、非常にまじめな生徒だった
・中高はスポーツの部活に所属し、打ち込んでいた
・エルヴィスプレスリーに憧れ、高校は中退、夜間学校へ
・ 若い頃はロックバンドで人気を博し、女性ファンからも人気だった
・俳優や脚本活動もしており、有名な作品にも多数出演している
・妻の樹木希林とは40年以上別居生活を送っていた
・樹木希林との別居夫婦の理由は「別れさせてもらえなかった」
いかがでしたでしょうか。
樹木希林さんの後を追うように他界された内田裕也さん。
天国でも、樹木希林さんが内田裕也さんを見守っているのかもしれませんね。