嵐・大野智の京都時代Jr.で培ったリーダーの資質とは!
国民的アイドルグループ、嵐のリーダー、大野智さん。
2020年いっぱいの活動で、活動休止を宣言しています。
そんな嵐の大野さんは、リーダーとして素晴らしい資質を持っている、と話題になっています。
今回は、嵐の大野智さんを作り上げたJr時代・京都時代について、見てきたいと思います。
嵐・大野智の出演記念日!
嵐の大野智さんがテレビ初出演を果たしたのは、5月5日。
端午の節句の日だったので、自分で折った紙の兜をかぶっていました。
かわいすぎます!
当時14歳だって大野智さん。
まだあどけない顔していますね。
嵐・大野智の京都時代!
嵐の大野智さんが、ジャニーズJr.にいた頃のこと、知りたいですよね!
ジャニーズJr.といえば、V6の頃が黄金期でした。
大野智さんは、黄金期メンバーのJr.のコンサート映像を見て、京都に行こうと決心したようです。
「京都に行けばメインでやれる。迷わなかったよ。母ちゃんも喜んでくれたしね。その時、高校もやめてたし。(略)それでも親は何も言わなかった。「やめるの?」「うん」それだけ。でも高校行ってたら京都には行けなかった。そう考えると、あの選択は間違ってなかったって思う。京都での経験は、僕の中でものすごく大きなものになってるから」
「踊りでもっと上に行きたい。俺のモチベーションはそこだったから。できるようになったと、自分の中で納得した振りを。ずっと後ろで踊ったりしてると、意味あるのかな、と思ったり(笑)とにかく踊りで進歩したいって気持ちだけだったね。」
大野智さんは、高校を辞めてまで、京都に行って踊りたかったんですね。
大野智の京都時代の苦労
京都へ行った大野智さんは、京都一年目では満足ができず、自分たちのラストのショータイムを、自分たちで作らせてほしいと進言します。
2年目には、自分たちで好きな曲を選び、振り付けも考え、満足ができたそうです。
みんなで朝まで振り付けを考えたりしながら、手作りでショータイムを作り、お客さんもかなり入ったようです。
しかし、タッキーなど東京組が来た日、大野智さんは一度も出演しなかったそうです。
大野智さんが自分を表現するために そして自分をずっと応援してくれているファンのために選曲した「COOL」という曲を選んだのですが、「タッキーの真似するな」と言われてしまったのだそうです。
集客するために大野智さんや仲間たちで、苦労して作り上げた「COOL」を否定された大野智さんの気持ちを考えると、胸が痛いです。
大野智さんはずっとタッキーのことを嫌いだと言っていました。
ジャニーズJr.の黄金期の人たちは、それぞれのファンが集まってくれる、ホームのステージでした。
しかし、大野智さんもいた京都は、集客から考えなくてはならず、どうやってお客さんに楽しんでもらうか、どうやったらお客さんが来てくれるかということ、を集客から考えて作り上げる、見せるステージでした。
東京のジャニーズJr.のステージは、お客さんがキャーキャー言うような、いわゆるジャニーズのステージです。
しかし、京都のステージは 大野智さんら出演者があまりにも真剣すぎて、「おおちゃーん!!」と、推しの名前で応援することも躊躇してしまうようなステージだった、と京都に通っていたファンが言っています。
すごく若い年齢で、かなりの完成度もステージを作り上げた大野智さん。
リーダーとしての安心感など、存在感があるのは、この頃の京都時代の大野智さんの苦労があるからかもしれません。
ランキング上位の実力者
Jr.には、人気ランキングがあります。
Jr.がJr.を選ぶランキングというものですが、大野智さんは「ダンスが上手い人」ランキングに、退所した当時、ランクインしています。
大野智さんがジュニアを退所した時の事ですが、この時に大野智さんは「ダンスが上手い人」と「人気ジュニア」の両方に選ばれています。
また、「優しい人ランキング」では3位にランクイン。
このころ、大野智さんに票を入れたジュニアは、大野智さんについて、意外にも「俺についてこいって感じの人」と表現しています。
今では、メンバーは見守る立場のような大野智さん。
メンバーや仲間状況を見て、自分の立ち位置を変えられる大野智さん。
実力も伴っていて、本当にすごいリーダーですね。
大野智さんみたいな上司がいたら、憧れてしまいます。
まとめ
大野智さんの京都時代、ジュニア時代について見てきました。
高校中退してまで京都に行った大野智さんは、想像を絶する苦労をされていたんですね。
ステージの座長なども務め、メンバーをまとめ、一緒に作り上げ、またその背中を追いかけさせたりもする。
まさに理想のリーダーです!
2020年が終われば活動休止に入ってしまう大野智さんですが、これからも応援していきたいと思います!